【具雑煮】1/30趣味どきっ! 長崎・キリシタンの秘鍋

〈講師〉料理研究家…冬木れい

趣味どきっ! 鍋の王国「具雑煮 長崎・キリシタンの秘鍋」が NHK Eテレ1東京にて2019年1月30日(水)
21:30~21:55放送されます!

日本人の冬のソウルフード「鍋」。このシリーズでは日本各地の鍋がなぜ誕生したのか、どう進化したのかを探る。家庭で本格鍋レシピも。

日本人の冬のソウルフード「鍋」。このシリーズでは日本各地の鍋がなぜ誕生したのか、どう進化したのかを探る。家庭で本格鍋レシピも。今回は長崎・島原の「具雑煮」。実は天草四郎が率いた島原の乱、この際に一揆軍の兵糧食として作られたものがルーツといわれている。しかし、ダシや具は家庭によってまったく異なる。その不思議をさぐる。

具雑煮

姫松屋の具雑煮

具雑煮(ぐぞうに)長崎県島原地方の郷土料理

島原藩領だった島原半島一帯で作られている郷土料理で、日常食ではないが家庭では正月はもちろんのこと、その他の祭礼ハレの日の食事に供される。

野菜鶏肉などの具を種類・量とも多く入れて煮込んだ雑煮(入れる具の種類などは家庭ごとの差が大きい家庭料理。)観光客相手に外食の店舗でも供されており、これら観光客には、土鍋で煮込んで供する形式が多い。

使用する食材

姫松屋の具雑煮

丸餅は煮て使用し、汁はすまし仕立て、かつおだしと醤油を使う。鶏肉、高野豆腐、蒟蒻、里芋、白菜、椎茸、春菊、大根、ごぼう、人参、法蓮草、蒲鉾、丸餅などを使用する。

使う材料は、家庭によってまちまちだが、醤油と鶏肉とゴボウの風味が命である。風味が損なわれるので、海鮮類はあまり具材として使われることはない。

※約400年の歴史の中、代々に渡って具材が増えてきているが、最後に加わった具材としては、白菜が一番新しく、明治8年に中国(清国)から渡来して以来、明治28年に品種改良の末に日本の地で初めて結球白菜が誕生し、大正中期から昭和初期にかけて鍋の具材とて普及したのを機に、具雑煮の食材のひとつとしても加わっている。

由来

島原の乱(1637年)後、ほぼ全滅に近かった無人状態の島原半島に、幕府の移民政策によって移住してきた小豆島系移民によって素麺と共に具雑煮の原型が伝えられる。

※小豆島からの移住者が、多数を占めていたため島原半島全体に広がり代々受け継がれて来たと思われる。

当然ではあるが小豆島は、香川県では一般的なあん餅白味噌雑煮ではなく、醤油の街ならではの、すまし仕立ての雑煮が主である。

諸説あり、以下のような説もあるようである。

・伝説としては、島原の乱原城籠城軍がつくったものが起源[1]とするものがあるが、この籠城軍は皆殺しになっており後世に伝えることは不可能であり、史実性は薄い。

姫松屋(2014年)

・伝説[1]を元に、姫松屋初代糀屋喜衛ェ門が1813年に味付に趣向をこらして生み出したのが「具雑煮」のはじまりと主張するものもあるが定かではない[2]

島原の乱

島原の乱(しまばらのらん)は、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。島原・天草の乱島原・天草一揆[1]とも呼ばれる。寛永14年10月25日1637年12月11日)勃発、寛永15年2月28日1638年4月12日)終結とされている。従来、信仰的側面は表面上のもので、あくまで厳しい収奪に反発した一揆であるというのが定説であったが、事態の推移から、単なる一揆とする見方では説明がつかず、宗教的な反乱という側面を再評価する説が出ている[1]。鎮圧の1年半後にはポルトガル人が日本から追放され、いわゆる「鎖国」が始まった。

島原の乱
原城跡
一揆軍が籠城した原城址
戦争:島原の乱
年月日1637年12月11日1638年4月12日
場所原城
結果:幕府軍の勝利
交戦勢力
Tokugawa Aoi(No background and Black color drawing).svg 徳川幕府 Gold Christian Cross no Red.svgキリスト教徒
指導者・指揮官
Maru ni Mitsu Ōgi inverted.png 松平信綱
Kuyō-domoe inverted.jpg 板倉重昌  

Gold Christian Cross no Red.svg 天草四郎(益田時貞)  
No image available.svg 有家監物入道休意 

戦力
125,800 37,000(幕府側記録)[注 1]
損害
死傷者8,000人以上[注 2] 全滅[注 3]

乱の勃発

過酷な取立てに耐えかねた島原の領民は、武士身分から百姓身分に転じて地域の指導的な立場に立っていた旧有馬氏の家臣の下に組織化(この組織化自体を一揆と呼ぶ)、密かに反乱計画を立てていた。肥後天草でも小西行長・加藤忠広の改易により大量に発生していた浪人を中心にして一揆が組織されていた。島原の乱の首謀者たちは湯島(談合島)において会談を行い、キリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた当時16歳の少年天草四郎(本名:益田四郎時貞、天草は旧来天草の領主だった豪族の名)を一揆軍の総大将とし決起することを決めた[3]。寛永14年10月25日(1637年12月11日)、有馬村のキリシタンが中心となって代官所に強談に赴き代官林兵左衛門を殺害[4]、ここに島原の乱が勃発する。

〈ゲスト〉市川紗椰,

〈講師〉料理研究家…冬木れい

冬木 れい(ふゆき れい)は、日本の料理研究家、料理サロン・大きな竈を主宰。良い食品づくりの会・会友、希望郷いわて文化大使栃木市ふるさと大使、国際薬膳師、本草薬膳研究会副会長。夫は作家の大岡玲

栃木県出身、真言宗豊山派の寺に生まれる。栃木女子高等学校を経て、学習院大学法学部卒業。

幼少時より行事料理、郷土料理に興味を持ち、1999年より料理サロン・大きな竈を主宰している。岩手県や栃木県を中心に、地方食材を活用したレシピの執筆や商品開発を行っている。

江戸料理に造詣が深く、栃木市の町おこし事業・とちぎ江戸料理のアドバイザーを務めるほか、NHKドラマの幕末グルメドラマ・ブシメシ!の料理監修も手がけている。

2018年からは、EDO WONDERLAND日光江戸村の江戸料理と伝統芸能を愉しむ催し「歳時記 〜◯の宴〜」の料理監修を担当している。

著書

  • 『つくって楽しい、食べておいしい お取り寄せ』(2005年・法研)

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