5/19は ホーチミンの誕生日! ハノイと並ぶベトナムの都市「ホーチミン」その都市名の由来となった人物『ホー・チ・ミン』氏の誕生日です!
ベトナムでは知らない人がいないという『ホーチミン』氏 は 紙幣に印刷されている というくらい超崇拝されています。
貧しい家庭で生まれながらも「世界が見たい!」という決意から船員になりフランスをはじめとする、ヨーロッパ諸国やアメリカ 、アルジェリア、チュニジアなどの数ヶ国に行き、世界の視野を広げていく。話せる言葉も数十カ国語あったという。
今のベトナムへの功を重視されて1980年には生誕90周年、1990年に100周年、2000年に110周年、2010年には120周年、節目ごとに記念切手を発行されている。
1969年に死去したホーチミンは現在も永久保存(エンバーミング)され、ハノイ市のバディン広場に建設されたホー・チ・ミン廟に安置されている。
1973年にアメリカ軍が全面撤退し、南ベトナム軍対北ベトナム軍の戦いとなったベトナム戦争は、1975年4月30日のサイゴン陥落によって終結した(現在では「解放記念日」として祝われている)。その後ベトナム民主共和国が主導して南北統一が実現し、1976年7月2日、ベトナム社会主義共和国が成立した。南ベトナムの首都だったサイゴンは、戦争終結直後の1975年5月1日、ホー・チ・ミンにちなんでホーチミン市に改称された。
ホー・チ・ミン(ベトナム語: Hồ Chí Minh / 胡志明, 1890年5月19日 – 1969年9月2日)は、ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した建国の父である。初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席。
ホー・チ・ミン Hồ Chí Minh |
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任期 | 1945年9月2日 – 1969年9月2日 |
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任期 | 1945年9月2日 – 1955年9月20日 |
ベトナム労働党
中央委員会主席 |
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任期 | 1951年2月19日 – 1969年9月2日 |
ベトナム労働党
第2代中央委員会第一書記 |
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任期 | 1956年11月1日 – 1960年9月10日 |
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出生 | 1890年5月19日 フランス領インドシナ連邦、ゲアン省ナムダン県アンチュ村(現在のキムリエン村) |
死去 | 1969年9月2日(79歳没) ベトナム民主共和国、ハノイ市 (廟:ホー・チ・ミン廟) |
政党 | インドシナ共産党 ベトナム労働党 |
署名 |
幼名はグエン・シン・クン(ベトナム語: Nguyễn Sinh Cung / 阮生恭)、成年後はグエン・タト・タイン(ベトナム語: Nguyễn Tất Thành / 阮必成)。第二次世界大戦までに使用していた変名のグエン・アイ・クォック(ベトナム語: Nguyễn Ái Quốc / 阮愛國)でも広く知られる。ベトナム人民からは、親しみを込めて『ホーおじさん(バック・ホー、ベトナム語: Bác Hồ / 伯胡)』の愛称で呼ばれている。
生い立ち
ホー・チ・ミンは、フランスの植民地(フランス領インドシナ)であったベトナム中部のゲアン省の貧しい儒学者、グエン・シン・サックの子として生まれた。父の影響を受けたホー・チ・ミンは幼少から論語の素読を学んで中国語を習得した。
父が阮朝の宮廷に出仕するようになると、ホー・チ・ミンも父とともに都のフエに移り、ベトナム人官吏を養成する国学でフランス語も学ぶようになったが、在学中に農民の抗税運動(賦役納税に反対する運動)に携わったため、フランス当局に目を付けられて退学処分となった。
その後、ラミラル・ラトゥーシュ=トレヴィル号という船の見習いコックとして採用されたホー・チ・ミンは、1911年6月5日、サイゴンを出帆してフランスへと向かった。
同年7月6日にマルセイユに到着し、初めての外国暮らしを体験する。マルセイユのカフェでコーヒーを注文した際に、従業員から人生で初めてフランス語で「ムッシュ」とフランス人から敬語で呼びかけられて感激するなど、このときの生活はホーにとって全てが物珍しかった。またフランス本国にも、植民地の原住民として虐げられているベトナム人と同様に貧しいフランス人が存在し、フランス人も一様ではないことも発見した。この体験は、後のホーの新国家建設にも影響することとなる。
9月15日に植民地学校の入学願書を提出した後、ホーはラミラル・ラトゥーシュ=トレヴィル号でいったんサイゴンへ戻った。役人を罷免されてコーチシナに移り、カンボジア国境近くのゴムのプランテーションの労働者や薬の行商人として生活していた父を探すためである。ホーはコーチシナに数週間滞在し、再び同じ船会社の船でマルセイユへ向かった。
マルセイユに戻ったホーは、植民地学校の入学願書が不受理となっていたことを知り、入学を断念した。その後、ホーは「世界を見てみたい」と思い、船員として働くことを希望した。以後、ホーは船員としてアルジェリア、チュニジアなどのフランスの植民地とアメリカ合衆国、ラテンアメリカ、ヨーロッパ諸国を回った。
1913年、アメリカ合衆国を離れたホーは、英語を本格的に学ぶためにイギリスに移住した。1917年12月にパリに戻ったが、この年に起こったロシア革命は、彼の思想に大きな影響を与えた。
共産党入党
ホーチミン市(ホーチミンし、ベトナム語: Thành phố Hồ Chí Minh / 城舗胡志明 聞く)は、ベトナム社会主義共和国最大の都市で、東南アジア有数の世界都市でもある。市街中心部の旧称はサイゴン(ベトナム語: Sài Gòn / 柴棍)である。
地理 | |
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地方 | 東南 |
面積 | 2,095 km² |
下位区分 | 19 区 5 県 |
統計 | |
人口 人口密度 |
8,426,100[1] 人(2016年) 4,000 人/km² |
民族 | キン族、ホア族(華人)、クメール人 |
その他 | |
市外局番 | 28 |
郵便番号 | 70 |
ナンバープレート | 50 → 59 |
ISO 3166-2 | VN-65 |
公式Webサイト | www.hochiminhcity.gov.vn/ |
ベトナム国民の父として親しまれる人物である『ホー・チ・ミン』と音韻弁別するため、通常はホーチミン市またはホーチミン・シティ(英語: Ho Chi Minh City)と呼ぶ。旧名はサイゴン(ベトナム語: Sài Gòn / 柴棍 聞く、中:西貢)であり、現地では今なお「サイゴン」という表現が、様々な場面で使われており、都市名としては「ホーチミン市」よりも通じる[3]。また、ベトナム人の間では「HCMC」「TP.HCM」と省略されることが多い。
古くからベトナムの経済的中心地として栄え、「東洋のパリ」と呼ばれたフランス統治時代の影響が残る街並みと、経済成長で建てられた高層ビル郡と雑多なバイク渋滞・スラム街が同居し、アジアらしさを残す街並みである。登録人口ベースで800万人を抱えるホーチミン市は、ベトナム南部圏の中心として、同国GDPのおよそ半分を占め経済を牽引している。
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