中心街、2008年
エチオピアでは化石人類のルーシーで有名なアファール盆地が人類発祥の地の1つとされてきたが、多くの遺伝学者は現生人類はアディスアベバから世界に拡散したと主張していて、1886年にエチオピア皇帝メネリク2世(在位:1889年 – 1913年)により建設された。場所は皇妃のタイトゥ・ベトゥルが選んだ。アディスアベバはもともと避暑地であり、気候がよく温泉が湧いていることや、森林が多かったこと、要害であったことなどが遷都の理由とされている。1917年、ジブチ・エチオピア鉄道が開通し、アディスアベバとジブチが結ばれた。
1936年、イタリア軍により占領され、イタリア領東アフリカ帝国の首都となった。
1941年初頭、第二次世界大戦の中でイギリス軍が侵攻した。
1941年5月5日、ハイレ・セラシエ1世がアディスアベバに戻り、首都再建を始めた。
1962年、アフリカ統一機構がアディスアベバで設立される。
2012年、アフリカ統一機構を引き継いだアフリカ連合の本部が中国の建設費全額負担で建設される。建設時点でアディアベバで最も高い建築物であった。本部に隣接する形でアフリカとアラブ世界でトップクラスの大富豪であるエチオピア人のモハメド・アル・アムディ(英語版)によってアディスアベバ初の7つ星ホテルでアフリカ各国首脳の泊まるアフリカ連合グランドホテルも建設された。2014年9月14日、中国の援助でエチオピア初、東アフリカ初の高速道路であるアディアベバ・アダマ高速道路(英語版)が開通した。
2015年4月22日、香港経由のエチオピア航空成田直行便開通によって、アフリカ大陸唯一の定期航空便就航地となっている。2015年9月20日、中国の援助でサブサハラアフリカ初のライトレールであるアディスアベバ・ライトレールが開通した。
2016年10月5日、中国の援助でアフリカ初の電気鉄道として新しいジブチ・エチオピア鉄道が開通した。
交通
アディスアベバの市内タクシー
外国からの交通には、2003年開港のボレ国際空港や隣国ジブチと結ぶジブチ・エチオピア鉄道がある。リデタ旧空港は小型機や軍用機が使っている。2015年にはライトレール路線であるアディスアベバ・ライトレールが完成したほか、市内には屋根が白、車体が青の乗合タクシーとミニバスが走っている。
1998年に中国の協力で完成した環状道路は市内の渋滞解消に大いに役立ち、アディアベバ・アダマ高速道路やアディスアベバ・ライトレールや近代的な鉄道と国際空港など中国の援助で建設された交通インフラが非常に多く、海外メディアからは「中国がつくった街」とも形容されている。2015年(平成27年)4月22日、エチオピア航空が新規受領したボーイング787型機を使用して、日本からのアフリカ大陸への唯一の定期国際便を運航開始した。
メスケル広場
国立博物館や民族博物館、ライオンパークやメスケル広場、エントト山やマルカート(東アフリカ有数の市場)な