兵庫県警察および航空・鉄道事故調査委員会による事故原因の解明が進められ、2007年(平成19年)6月28日に最終報告書が発表された。[1]
航空・鉄道事故調査委員会の認定した脱線の原因については「脱線した列車がブレーキをかける操作の遅れにより、半径304mの右カーブに時速約116kmで進入し、1両目が外へ転倒するように脱線し、続いて後続車両も脱線した」という典型的な単純転覆脱線と結論付けた。現在では現場のATSには速度照査機能が追加されたが、2005年(平成17年)6月 – 2010年(平成22年)10月までに速度超過で列車が緊急停止する事態が11件も起こっており、速度が出やすい魔のカーブとされている。[1]
なお、この脱線事故の原因の究明および以後の事故防止のために調査を行う航空・鉄道事故調査委員会が調査を行った。同委員会は2008年(平成20年)10月1日に運輸安全委員会へ改組されているが、本項では組織名を航空・鉄道事故調査委員会のまま記述する。
列車速度超過説 (事故報告書、通説)編集
航空・鉄道事故調査委員会の鉄道事故調査報告書によると、当日、事故現場に至る以前から、JR東西線(京橋 – 尼崎駅の正式名称)にてATS-P曲線速照機能が動作したり、分岐器制限速度を超過したり、ATS-SWの確認扱いを怠って非常ブレーキを動作させたりするなど、通常の運転ではあまり見られない操作を繰り返していた事が記録より判明している[13]。
- 京橋駅→尼崎駅:下り(各停)第4469M列車(JR東西線を尼崎駅まで運行)
- 加島駅直前のR=250曲線の手前約99mにて、ATS-Pによる常用最大ブレーキが1.8秒間作動。曲線制限速度いっぱいの65km/hで曲線に入る。[注 3]
- 尼崎駅→宝塚駅:下り回送電第回4469M列車(事故時と反対方向への回送列車)
- 川西池田駅 – 中山寺駅間で、閉塞信号機が進行にもかかわらず不自然に惰行し、10km/h程度まで速度低下。
- 宝塚駅手前で場内信号機の停止現示を受けて手前で徐行していた後、注意現示に変わると力行開始。現示制限速度の55km/hを超えても力行カットせず、さらに分岐器にその速度制限40km/hを超えた約65km/hで進入、ATS-SWロング地上子(出発か)を踏んでATSベル鳴動するも確認扱いを行わず、非常ブレーキ作動し、進入ホームの手前端部付近で停止。ATS復帰扱いをし再起動するが指令に報告せず(報告義務あり)。
- さらに同駅構内で、ATS-SW誤出発防止地上子を踏んで再び非常ブレーキ作動し停止。この時、列車が場内に進入してから規定時間(44秒)を超えていた事から[注 4]、誤出発防止地上子は即時停止情報を送出していた。なお、誤出発防止地上子により停止した場合は、指令への報告義務はない。(事故報告書p.130)
- 宝塚駅から折り返すため反対方向の運転室に移動するが、平均的運転士ではマスコンキーを抜いてから1分程度で運転室を出るものの、2分50秒ほど掛かった。
- ここまでいずれもダイヤ上の遅延は1分未満であり、大きく遅れているわけではなかった。
- 宝塚駅→京橋駅:上り快速電第5418M列車(事故列車)
- 北伊丹駅通過後、伊丹駅停止位置手前643mで約113km/hにて惰行時、ATS-Pの次駅停車予告アナウンスがあるもブレーキを掛けず、手前468mで約112km/hの時、Pの停車警報が鳴り、ブレーキをB7-8に入れる。停止位置で止まりきれずに44mオーバーランした時に車掌が車掌弁を引き非常ブレーキにより停止、72mのオーバーラン。なお、運転士は直通予備ブレーキも動作させていた[注 5]。その後後退させて駅に停車。
- 伊丹駅を1分20秒延で出発後、車両及び線区最高速度の120km/h±数km/hいっぱい[注 6]で力行を続ける。塚口駅上り場内信号機手前で力行カットし、その後は微ブレーキを短時間操作したがほぼそのままの速度で惰行。事故現場のR=300右曲線(70km/h制限)に116km/hで進入、脱線転覆した。
- なお、北伊丹駅辺りから事故現場の曲線まで、概ね線形は一直線状であり、最高速度で走行していても事故現場の曲線の手前までは線形速度制限により減速する機会はほぼない。
また、始発の宝塚駅やその次の停車駅である川西池田駅に入線する際にも、それぞれ停止位置を間違える[要出典]など、不自然な運転を繰り返していたことも判明している。運転士がその遅れを取り戻そうと制限速度を超えた可能性、また、単純に焦りと動揺などからブレーキ開始位置を失念し掛けるのが遅れた可能性もある。さらに、事故報告書p.17 – 18によると、オーバーランした伊丹駅を発車後、最高速度いっぱいで力行・惰行の最中に運転士から車掌に車内電話があり、伊丹駅でのオーバーラン報告について「まけてくれへんか」と交渉されたと言い、この事に気を取られ過ぎて、ブレーキ位置を失念した可能性もある(運転士がブレーキを掛けなければ、そのままの高速度で70km/h制限の曲線に進入する事となる)。
なお当該線区に設置されていた自動列車停止装置(ATS-SW)はJR西日本では最も古いタイプのものとされ、あたかもこれが事故を防げなかった原因であるかのような報道もあった。ATS-SWでも速度照査用の地上子などの設備を設置すれば速度照査機能の付加は可能であり、ATS-SWそのものが直ちに事故原因につながるわけではない。ちなみに事故現場には速度照査用の地上設備は設置されていなかった。
また、当該線区には新型のATSである自動列車停止装置(ATS-P)の導入が予定されていたが、ATS-Pでも速度照査用の地上設備が設置されていないと、速度超過した列車を自動で減速あるいは停止させることはできないのは、ATS-SWと同様である。
速度超過から脱線に至る原因は、せり上がり脱線説と横転脱線説の大きく2つの説があるが、レールの傷跡から後者と断定される。
事故報告書における乗客の供述編集
- 最後尾車両に乗っていた乗客によると「本件列車はいつも乗っている快速というよりも、新快速に乗っているように速く、また揺れたという記憶がある」との供述がある。(事故報告書p.27)
当初疑われた原因編集
事故発生当初は、下記のように種々の原因が疑われた。しかし、最終報告書ではそのほとんどについてそれを裏付ける傍証は明示されなかった。
非常ブレーキ説編集
カーブ通過中に運転士が非常ブレーキをかけて車輪が滑走した場合、車輪フランジの機能が低下して脱線に至る可能性が大きいという説があり、当初、非常ブレーキを動作させなければ脱線および横転の可能性は少なかったと言われた。後の解析の結果、運転士はカーブ進入後、車体が傾きだしていたのにもかかわらず常用ブレーキを使用していたことが判明。非常ブレーキは脱線・衝突の衝撃で連結器が破損したことによって作動していた。
また、それ以前に運転士が数回にわたって非常ブレーキをかけていた原因については、0番台の車両と1000番台の車両のブレーキのかかり方の違いによるものであるという見方もある。0番台と1000番台ではブレーキの動作が違っているため、207系の運転経験がある運転士は(他形式とは違い)20mほど手前から転がして微調整をかけるような運転の仕方が必要と話す。
せり上がり脱線説編集
運転士がカーブ手前でそれに気づき非常ブレーキをかけたために(後に否定される)車輪のフランジとレールとの間で非常に強い摩擦力が起き、2000年(平成12年)3月8日に発生した「日比谷線事故」と同じような車輪がせり上がって脱線した「せり上がり脱線」が起こり、事故につながったという見方もある。しかし、通常のせり上がり脱線が発生するためには車輪に非常に高い横圧がかかることが必要で、現場の半径300mのカーブ程度では通常は考えにくい。
横転脱線説編集
また、あるところではせり上がり脱線ではなく上記に示したとおり「非常ブレーキ」の作動によって列車のバランスが崩れ、進行方向(尼崎方面)向かって右側の車輪が浮き上がりそのまま左側に倒れ込んだ「横転脱線」ではないかとする見方もある。しかし、前述のとおり、乗務員が使用したのは「常用ブレーキ」であり、「非常ブレーキ」が作動したのは脱線によって連結器が破損した後であると判明している。
乗用車衝突説編集
事故発生当初は、現場に大破した乗用車が存在することと列車の脱線の事実のみが伝わったことから、「踏切内で乗用車と列車が衝突し、列車が脱線した」との憶測が飛び交うなど情報が錯綜した。そしてJR西日本の当初発表が「踏切内での乗用車との衝突事故」だったため、報道各社はこのJR西日本発表を流した。発生2時間後の警察発表後で否定されるまで、乗用車との衝突とする報道は続いた。
塚口駅から同列車が脱線した地点までの区間に踏切は1つも存在せず、乗用車が近隣の建造物や立体駐車スペースから線路内へと落下した痕跡も確認されなかったことから、この説は明確に否定される。
線路置石説編集
JR西日本は事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で粉砕痕(置石を踏んだ跡)の写真を報道機関に示すなどして、置石による事故であることを示唆した。しかしJR西日本の置石説発表後に国土交通省が調査が済んでいない段階での置石であるとの断定を否定する発言を行い、JR西日本も原因が置石であるかのような断定を撤回する発言を行った。
その後も調査が進み、事故列車の直前に大阪方面へ向かう北近畿6号が通過するなど列車の往来が激しい区間であることから、多数の置石をするのが困難であること、置石の目撃者がいないこと、当初置石があった証拠として挙げられたレール上の粉砕痕は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でその成分が現場のバラスト(敷石)と一致し、「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んでできたものと考えるのが自然である」との調査委員会の見解が出された。
また、事故後しばらく、模倣とみられる置石事件で逮捕される者が相次いだ。
油圧ダンパー(ヨーダンパー)故障説編集
複数の乗客から「油くさい臭いがした」「異常な揺れを感じた」との証言があり、事故発生直前に車掌からも輸送指令に「(揺れがひどく)列車が脱線しそうだ」と無線連絡していた[要出典]ことから、新幹線などの高速車両にも搭載されている横揺れを抑える「油圧ダンパー(ヨーダンパー)」が故障していたのではないかとの説がある。
油圧ダンパーの故障で空気バネをうまく制御できなかったことにより、直線区間で異常な揺れが発生し(油圧ダンパーや空気バネが正常であれば高速走行をしても極端な揺れなどは感じない)カーブに入った時に「空気バネの跳ね返り現象」(油圧ダンパーが故障していたことにより、カーブ突入時に本来内側に傾いたままであるはずの車体がバネの跳ね返りで外側に傾いてしまう現象)が起こり、車体全体が外側に傾いていた時に、たまたま運転士の焦りから通常減速すべきカーブを減速しないで加わった強力な横の重力もあって転覆に至ったのではないかとされている。
油圧ダンパーが故障したとすると、空気バネの制御ができなくなるのと関連してブレーキの制動具合にかなりの影響を与えるという意見がある。つまり、乗客が多い場合と少ない場合で同じ位置に停止させようとすると異なるブレーキ力を働かせなければならないので、その調整を空気バネの制御で行っているのである。今回の事故において、空気バネの制御ができなくなっていたとするとブレーキの作動が非常に悪くなっていた可能性があることが専門家から指摘されている。
ただし、本来油圧ダンパーと空気バネは独立したものであり、207系自体、また類似構造の台車を履く221系も当初ヨーダンパーを装備していなかったことから、ブレーキの効き具合にも直接の影響はないとする意見もある。